私が書くブログはつまらないことが証明された
私が書くブログはつまらない理由
私が書くブログはどうやらつまらない。
もう、自分で白状してしまいたいくらいにブログがつまらないということが証明されている。
それは、5年間も書いているブログのアクセス数がいくら記事を追加しても増えない。
本当につまらないのか?
そんな思いを抱いて、改めて自分のブログを他人の気持ちで読んでみることにした。
・・・たしかに、最後まで食いついて読むような記事ではない。
中には自分の興味のある分野のことを書いている時にはおもしろく読んでくれる人もいるかもしれないが、何より、私はどういう人間なのかが記事からではわかりにくい。
- お前はどう感じているのだ?
- どうしたいのだ?
- どんな行動を取るのだ?
まったく私という人間が見えてこない。
さらにやっかいなのが、途中キャラが無理やり作られているような時期も存在している。
こんなブログがおもしろいわけもない。
ブログは無理して書くことない
ブログを書くことに無理をすることはない。
早く収入を得るためにとにかく記事を書いて書いて書きまくる。
これは、間違いではないが、もっとブログを書くことについて考えてみよう。
記事を大量生産したが、その記事は他人が読んでおもしろいと感じてくれるだろうか?
記事の検索順位を上げるためにはグーグルに評価されることも大事だが、そもそもそのブログをおもしろいと読んでくれる人があってこそのブログである。
グーグルに評価されるためのテクニックも必要であるだろうが、その前に人が読んでおもしろいと感じるかどうかが大事。
おもしろいと感じてもらうために、無理にブログ内で架空のキャラ感を出している場合もあるが、無理して気分次第でキャラが変わりやすい。
さらに、どこか常識人としてのキャラを持っていたいがために自分の意見や考え方が見えにくいなんていうこともある。
結果、自分の普段のキャラが素直に出ている、素直な意見を書いている方が同じ内容でも面白みが違ってくる。
ブログを書いているのに、無駄にキャラを演じるのはよくない。
記事ごとにテーマが大きく変わるのは微妙
雑記ブログを5年間も書いていたが、雑記というだけあって、毎回記事のテーマは大きく異なることが多い。
もちろん雑記ブログとしていろんなテーマを書きたい時に掛けるというのは一番のメリットだが、テーマの振れ幅が大きすぎると、そこに来てくれている読者を置き去りにしているところもある。
自分が興味を大きく持っていることについてはブログで書き残していきたいのはわかるが、それであれば一定の時期で集中的にそのテーマについて語る方が、まだつながりがもてるので、読者も受け入れやすい。
ある時はAというテーマで次の日はBのテーマ、またある日はXのテーマ等、毎日テーマが飛びすぎているのもブログとして読んでいく時には読む気がしなくなっていく。
雑記ブログを書く立場からすればテーマに縛られないからこその雑記ブログだが、読む立場になった時にあまりにもテーマが離れすぎている場合に戸惑いが生じる。
結果、テーマが離れすぎている場合は定期的に来てくれている読者も書いた記事を読む可能性は低くなる。
まとめ
私が読者の気持ちで自分の書いたブログを読んだ時、私のブログはつまらないことが証明された。
ブログ上で無理をしている
ブログ上で自分を別のキャラで演じる必要もなければ、自分の主張を捻じ曲げる必要もない。
ただ、自分が感じたように表現するだけでいいのに、どこか飾っている自分がそこにいるのは記事を通じて無理していることが読者に見え隠れしている。
テーマが大きく変わりすぎる
いくらなんでも書いてOKのブログだとしても、読者に読んでもらいたい場合にはテーマを大きく変えることは読者を置き去りにしてしまっている。
特定の分野に興味を持った時には、ある程度時期を絞って同じテーマを記事に記録していくと読者もついていきやすいが、自分の気持ちの赴くままにいろんなテーマを記録していくと他人はついていけない。
雑記ブログといっても、一定の範囲でテーマは絞っていく方がよい。